ハイメス企業インタビューシリーズ Vol.1 伊藤組 伊藤義郎氏

インタビュー実施 2013年6月14日(金)伊藤組土建株式会社本社

コーディネーター:駒ヶ嶺ゆかり
広報委員:立花雅和 森吉亮江
陪席:西村善信副理事長

駒ヶ嶺ゆかり(以下、駒ヶ嶺):ハイメスは4年前に20周年を迎え、新たな時代を迎えております。お陰様で企業会員からのご支援を頂き、多くのアーチスト会員は歩ませて頂いて参りました。これからのハイメスは新しい時代に向け、これまでのご支援に感謝し新らたな歩みをと思っております。その試みのひとつとし「企業家の方へのインタビュー」をはじめました。ご支援を頂いた経緯や、今後のハイメスに対しご意見を賜れればと願っております。このインタビュー企画の筆頭に、北海道の経済界のリーダーである伊藤義郎様にお話を伺わせて頂きたいと存じます。

駒ヶ嶺:ハイメスは4年前に20周年を迎え、新たな時代を迎えております。お陰様で企業会員からのご支援を頂き、多くのアーチスト会員は歩ませて頂いて参りました。これからのハイメスは新しい時代に向け、これまでのご支援に感謝し新らたな歩みをと思っております。その試みのひとつとし「企業家の方へのインタビュー」をはじめました。ご支援を頂いた経緯や、今後のハイメスに対しご意見を賜れればと願っております。このインタビュー企画の筆頭に、北海道の経済界のリーダーである伊藤義郎様にお話を伺わせて頂きたいと存じます。

伊藤義郎(以下、伊藤):河邨文一郎先生から、北海道、強いては札幌に、新人音楽家を育てる組織があってもよいのではないか。そのようなお話があったのがはじめでした。河邨先生とは、医師としての出会いが最初でした。昭和20年代、悲劇的に大流行したポリオ(脳性小児麻痺)に対し、撲滅資金集めに奔走した時代を共にしました。しばらくして詩人でもあることを存じ上げました。札幌オリンピックの歌「虹と雪のバラード」が河邨先生の詩によって誕生した事は大変素晴らしい事でした。41年前(1972年)の札幌オリンピックに招致委員長を務めました。実際には2度開催候補地から落選しまし、3度目の挑戦でしたが、既に1億円を使っており、札幌市は非常に弱気になっていました。その費用について、市議会で罷免決議を受けましたが、それを取り下げ、再挑戦してこそと奮い立ちました。その結果3度目にして札幌冬季オリンピックの快挙を得た訳です。そしてオリンピックの歌を是非作りたい。と、おっしゃる河邨先生が作詞されたのです。もうひとつのつながりは、ロータリアンとしてです。ガバナーとしてご推薦させて頂いた経緯もございました。当時はまさかこのような音楽的な面でご縁があるとは思っておりませんでした。

駒ヶ嶺:これまでのお話で気付かされました事は、まさに根気強くエネルギーを注ぎ、信念を持ってこそ為しうることがあるのだと強く感じました。芸術・文化やスポーツの世界においても同様のことが言えると思います。 ここで『伊藤組100年基金』について伺わせて下さい。この北海道最初の基金を誕生させた背景を伺わせて下さい。

伊藤:会社が百年を迎えると言うことは、社会から理解を得てきたからこそであります。その恩返しとして考えたもので、この基金設立により社会へ還元しようとの思いがございました。 日本の制度の中では、財団法人化いたしますと、教育、スポーツ、または芸術の中でも音楽だけと決められてしまう嫌いがございます。あらゆる分野に支援を考えたく、「財団」ではなく「基金」としてはじめました。音楽には大変興味がございます。それは、音楽は社会生活において、多くの芸術(絵画・演劇)の中でも、大変身近になりうる存在ではないかと考えているからです。音楽にも色々なジャンルがあり、また演奏スタイルも声楽、楽器と様々ですが、音楽は演奏される方があって、はじめて存在し得ると思います。またその音楽は社会を潤します。それは大変意味深いことと感じております。私は、社会的にみても音楽は大変大切ではないかと思っていますし、大いに期待もしています。音楽をされる方をサポートすること。お目にかかってお話しすること。音楽的な人々との出会いは最も楽しいことであります。

駒ヶ嶺:企業と音楽家の良いあり方について、私たちもこれから考えていかなければならないと思います。ハイメスにおいては、伊藤様はじめ、数々の企業の皆様にご支援を頂いておりますが、私達はそれを甘んじて受けるだけではなく、どういう風に応えていくことが必要なのか、これから新しい時代に向けて真剣に考えていかなければいけないのではないかと思っています。

伊藤:私は、音楽というのは社会を穏やかにしたり、生活を豊かにする身近なもの、社会的に非常に大切なものだと思っています。私が札響の理事長をやっていた時には、団員の3分の1はまだアマチュアでしたが、本当のプロのミュージシャンでやってこそオーケストラとしてのレベルであり、それにはそれなりの収入、資金がなければ、ということで、札響を日本一のオーケストラにしようと、札幌市と北海道からの補助を取り付け、オーディションもして、徐々に全員をプロの楽団員にしていきました。芸術でもいろいろありますが、音楽というものは家庭に本当に即入ってくると私は感じています。

西村副理事長(以下、西村):国境がないですしね。“北海道国際音楽交流協会”というのを縮めて“HIMES(ハイメス)”としたのですが、これも河邨先生の命名です。毎年コンクールを開催し、一人ずつ海外に留学をさせておりまして、そのご支援を頂いているわけですが、事業の大きな柱となっています。

駒ヶ嶺:ハイメスでは、チャリティニューイヤーディナーコンサートにおける収益を、コンクールのための基金にさせて頂くという流れになっております。資金集めの難しさなどに直面しながらもなんとか続けているというのが現状です。

伊藤:ノボシビルスクなど、あれは留学とは別ですか?

駒ヶ嶺:それは姉妹都市との国際音楽交流というまた別の事業です。ノボシビルスクやポートランド、ミュンヘンなど音楽的な姉妹都市交流はありますが、留学先に選ばれた方は今までにいらっしゃらないですね。ハイメス海外派遣コンクールは、北海道の若手に海外で音楽を学んでくる機会を与えたいという思いで始まり、毎年コンクール入賞者に奨学金を授与しています。留学目的でハイメスコンクールに参加される方、また、コンクール入賞がきっかけで留学を決める方もおり、今までの歴史の中で、各々の経緯や選んだ国は様々です。そして各々が、有名な学校や、自分が習いたい先生を自分で選び、目指されて行かれます。1年で帰られる方、渡って後に2年、3年となっていく方、様々ですね。

伊藤:それはハイメスがチャンスを与え、留学のきっかけを作っているということですね。

西村:昔は音楽だけの試験ですぐ留学できたのですが、今は語学もできないと受け入れてくれないという仕組みになっているようです。

駒ヶ嶺:学校側も外国人を沢山受け入れているので、その国の言葉を理解して同じように授業を受けてもらいたいのだと思います。音楽が世界の共通語なのだと言う時代ではなくなってしまったということですね。

立花:最初にハイメスの事を余りわからないということをおっしゃって頂いたのですが、きっとそれは当然の事だと思うのです。ハイメスから賞金をもらって留学しましたが、その賞金がどこから出ているかとか、どういう方、企業が音楽の文化に理解を示して支援して下さっているのか全く自覚の無いまま留学していたという事実が留学から戻ってきてから気がついたのです。音楽業界に受け身で支援してもらうだけ、賞金を頂くだけで、一体僕たちはそういう方々に何をお返ししたんだろうっていうことを疑問に感じて、それがきっかけでこの企業インタビューの企画が立ち上がったんです。いったい企業の方々がどういう思いで支援してくださったのか。今後、僕たちはどういった心構えで企業の方々へ恩返しをしたらいいんだろうという思いにかられています。

伊藤:河邨先生は、北海道の若い音楽家の方を留学などの支援をするんだと、私は北海道ということで、これはいいという風に思ったのを思い起こします。あなたのように留学から帰ってきてハイメスを盛り立てていく。これはその通りだと思います。

駒ヶ嶺:色々な経緯はあるけれど、そうやって留学に行ったかたは北海道の財産だと考えよう、北海道の生んだ音楽家だよと支援しようという意気込みがあったのだと思います。誰もがハイメスの委員に成るわけではないのですが、委員になって色々な組織や成り立ちをしったことによって、彼らのようにハイメスに関わって下さった企業の方々に感謝したいけれどどうやったらそれを表現できるのだろうかと真剣に考えてくれる人たちが戻ってきているということが、ハイメス25年頑張って良かったなと思うんですね。私達音楽家は正直、お金では返せないのです。しかし、音楽を通して可能な限り広く社会に貢献していきたいと思います。最後に、出来れば音楽のビジネスモデルの未来図、ハイメスと企業がタッグして札幌に残せるものはアイディアとしてないでしょうか。

伊藤:札幌にも何かもっと音楽的な行事があってもいいのではと思うのです。皆さんを育てることにも興味はありますが、何かもうちょっとフェスティバルがないかなと思っているんです。札幌は札響もあり、キタラでびっしりコンサートやってますね。札幌はもちろん、北海道の各地からもお客さんが来ていますから、何かもう一つフェスティバルというものを開催してはと常々思っています。このハイメスもこれ(資料)を拝見するるとこれだけ歴史が、これだけできるものがハイメスにあるわけですから、これは大いに札幌、北海道にハイメスありということだと思います。ニューイヤーコンサートも楽しませていただいています。

駒ヶ嶺:お話して思いました。私たちはまだ努力できることがあるんだと。そしてハイメスにかかわらせて頂いて、(留学から)帰ってきて、そして支えて下さった先人たちがもう一つ何か出来るはずだよと投げかけてくださったその言葉を真摯に受けとめ、何かやれるように頑張りたいと思いました。私たちは誰かのためにという姿勢が少ないと思います。今日はお忙しい所ありがとうございました。

伊藤:中々お話することが無くてどうしたものかと思ったのですが、楽しい話が出来てよかったです。ありがとうございました。

ハイメスがこれまで歩んでこれた背景には、個人、法人の多大な協賛があってこそである。その間多くのアーティストがハイメスから誕生し、札幌をはじめ道内外で活躍している。創立25周年という節目を迎え、さらにこの活動を継続発展させるには、支援していただいている協賛企業の文化振興に対する思いをもっと理解する必要があるのではないか。その様な思いが原動力となり、この企業インタビューの企画へとつながった。これからのハイメス、ひいては音楽家の将来へ少なからずヒントになることがあれば幸いである。

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