第2回ハイメスオーケストラ演奏会によせて

指揮者 新田ユリさん

1813年の流れ星
Giuseppe Verdi (1813-1901), Richard Wagner(1813-1883) ロンコーレという小さな村に、10月10日に生を受けたヴェルディ、ライプツィヒに5月22日に誕生したワーグナー、生を受けた100年後も、200年後も同様に世界がその作品を頻繁に取り上げているという音楽的事実。紛れもない音楽界の巨星が同じ年に地球に流れ落ちたのだ。

第2回ハイメスオーケストラは、この二人のアニヴァーサリーに正面から取り組むプログラムとなった。正直に申し上げると私はこの二人とは距離を置いて活動をしてきた。つまり得意分野ではない。だからこそ、きっと作品の持ち味をオーケストラ、ソリストとともにじっくりと抽出することができると思っている。恋は盲目、あばたもえくぼ・・・世の中にはこのような表現がある。好きな人、好きな事に対して、そこには論理的な分析はあまり働かないものだ。「とにかく好き!」の「とにかく」の部分が本人だけの価値であり気持ちである場合、それが音楽の表現として転換されると時にはなんだかわからないものになる。昔の師匠に言われた言葉「チャイコフスキー嫌いな人のチャイコフスキーが一番良い演奏だ」。情念が勝る作品の場合、その落とし穴にはまると第三者に作品の本質が見えなくなるよという師匠の警告だった。

話を戻す。若いころ自分はオペラの仕事に途切れなく関わっていた。大小様々なカンパニーで多くの素晴らしいマエストロ、演出家とともに仕事の機会を頂き、自分の公演とアシスタントの仕事を並行して行っていた。 東京二期会「ワルキューレ」公演の副指揮者で入った時、マエストロ大野和士はバイロイトからベテランのコレペティトゥアを招聘された。御年70に近い世代の方だった。ピアノを弾きながら歌手に細かな音楽稽古をされる。一度始まると1時間はあっという間に過ぎ、気が付くと3時間弾き通しということもあった。バイロイト劇場に残されているワーグナーの言葉や指示の落書きの話など、作品誕生の空気が感じられるような興味深い話も続き、貴重な日々だった。その稽古を通して思い知った。「この世界はお茶漬けサラサラの我々とは遠いものだ」と。体力的な差だけではない。背負っている文化の広さ、重さ、それがそのまま楽譜に練りこまれている。

そしてヴェルディ。ヴェルディはイタリア歌舞伎であり、イタリア演歌であると個人的に思う。歌唱の魅力、イタリア語の魅力、明確な「型」を美しい音楽の言葉で作り上げ、誰もがその「型」によりすべてを知ることができる。すでに知り尽くしている「型」であっても、毎度その仕掛けられた罠にはまり音楽の泉におぼれてゆく。劇場空間を知り尽くしている作曲家の技。天邪鬼の自分はその「型」に、はまるまい!と思ってしまう。

ワーグナー、ヴェルディに共通することの一つに、彼らの生きた時代を受けて社会的な動きと作曲が密接に結びついていたことがある。ヴェルディの故郷ロンコーレは生まれた当時ナポレオンの領土であり、そののちオーストリア領となった。独立運動が国に起こり初期には愛国的作品が並ぶ。ワーグナーは実際に政治活動の側面で人生が大きく動いた。つい先日奈良で開催されていたワーグナー展を拝見したが、人生そのまま楽劇であると改めて思った。

21世紀の今、情報社会の中で接する世界は広がっているものの 何やら人間一人一人のスケールは小さくなってきたことを言われている。そんな社会にこの二人が音楽に描きこんだ大きな深い世界が語りかけるものは多い。その音の言葉を描き出し200年という歳月が吹き飛んでしまいそうな演奏を、今年のハイメスのメンバーの皆さんと奏でてみたいのである。札幌の夏、中欧の重く熱い風を呼び込みたい。(了)

ソプラノ 菅原利美さん

ヴェルディ生誕200年という記念の年に歌劇「アイーダ」のアリアを歌う素晴らしい機会をいただき、感謝申し上げます。毎年暑い中、指揮者と共に3日間という短い時間のなかで真剣に音楽を作りあげていくオーケストラの皆様の姿勢には感銘を受けておりました。この度のアリアは、“最愛の二人のどちらかを失ってしまう!”という激しい気持ちから、“どちらかを失うのであればいっそう死のうと願う”までの心の動きを新田先生やオーケストラの皆様と共に作りあげたいと思います。

ソプラノ 後藤ちしをさん

このたびはマエストラ、そして、オーケストラの皆様方、よろしくお願い致します!
椿姫二幕、、大変ドラマティックな場面でありながら、彼女(ヴィオレッタ)の心の奥底に常に存在し続けた「生まれ変わりたい」という憧れを胸に、今の自身の持ち物と声で素直に表現できますようつとめたいです。
故郷である北海道へ想いを繋げる時、やはり歌うことへつながり、今も一歩一歩積ませて頂いている経験を、宝にして常に磨かれます様、自然体で進みます。

バリトン 岡元敦司さん

ラ・トラヴィアータは”椿姫”とよばれていますが、直訳すると”堕落した女性”、邦題は原作の”椿の花の貴婦人”からとられたものです。タイトル役の高級娼婦ヴィオレッタ(直訳でスミレの意)の人生はまるで椿のように蕾から咲き始めまでは美しく、咲ききった花びらは名残惜しく散り果てて終わります。今回はオペラ”椿姫”にとって、最も難しい場面を演奏します。それはこの場面でジェルモンが厳格な男として成り立たなくなると、ヴィオレッタがただの娼婦になってしまうからです。ここでヴィオレッタの真剣な恋を引き出せなければ、この物語は成立しないのです。役者は時に自らを演じ、舞台を演じさせなくてはなりません、特にオペラは役を演じるだけではなく、声でも演じなくてはいけない芸術です。私はコンサートスタイルだとしても物語の内容が見えるように歌う事を大切にしたく心がけています。ヴェルディがどのように声の芸術を手がけてきたかどうぞお聞きください。

ソプラノ 服部麻実さん

この度はハイメス・オーケストラで歌うことができ、感謝しております。2005年のハイメス・オーケストラの演奏会では、ロシア留学から帰国直後に「エフゲニ・オネーギン」からのアリアを歌いました。熱い思いのこもったオーケストラと共演して音楽を作りあげてゆくことは、私にとってとても充実した時でもありました。今回は記念の年に、ワーグナーの私の好きなアリアを皆様と御一緒できますこと、心から楽しみにしております。

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