ハイメス企業インタビューシリーズ Vol.3 札幌ドーム社長 長沼修氏

インタビュー実施 2014年6月20日(金)札幌ドーム

コーディネーター:駒ヶ嶺ゆかり
広報委員:立花雅和 森吉亮江
陪席:西村善信副理事長 西村公男事務局長

駒ヶ嶺ゆかり(以下、駒ヶ嶺):私どもハイメス(HIMES:北海道国際音楽交流協会)は創立26年目を迎えております。これまで各方面のご支援を頂き、多くのアーティスト会員は歩ませて頂いて参りました。これからもまた未来に向かい、ご支援への感謝を胸に、ハイメスは新たな時代へ歩みを進めて参りたいと存じます。その第一歩と致しまして「法人会員としてお支え頂いております企業家の方へのインタビューシリーズ」をスタートさせています。今回は、札幌の芸術文化のリーダーのおひとりである長沼修社長にお話を伺わせて頂きます。では早速ですが始めさせて頂きたいと思います。まず、はじめに、長沼社長と音楽との出会いから現在までの関わりについてお話を伺わせて下さい。

長沼修氏(以下、長沼):音楽との出会いは、中学1年生のブラスバンドでした。そこでシンバルを担当し、マーチ「士官候補生」を演奏したことがきっかけとなりました。2年目からはクラリネットへと転向しました。西高時代は、道内唯一の高校生オーケストラに所属し「体が大きいのでコントラバスを」と勧められ、コントラバスを担当しました。とにかく音が出るものが楽しくてしかたがなかったですね。高校時代は合唱部とオーケストラの両方に所属し音楽三昧の日々でした。
 その高校2年の時の事です。昭和35年、当時の市民会館において『札幌にプロのオーケストラを作るための市民会議』が行われました。加藤愃三先生の勧めで、部長であった私が高校生代表として意見を述べに行く事になったのです。勿論「札幌にプロのオーケストラは是非必要である」と。
 また当時の西高のオーケストラは編成が小さく、私は大きなオーケストラ作りを夢見ていました。そこで市内の高校に呼びかけ昭和36年11月、札幌初の高文連で60人編成のオーケストラ公演が実現しました。時代は「安保」。例え音楽交流でも高校同士の連携は学生運動に繋がるとかなり懸念されましたが、なんとか乗り越え実現出来ました。その時に出会った先生、友人は今も私にとって宝です。当時、北高生であった佐々木一樹先生は 後の札響の2代目コンサートマスターになられた方でした。随分お世話になりました。
 その後私は北海道大学に入学し、北大オーケストラへと結びついて行きました。当時、北海道放送HBCの社長であった阿部謙夫(あべしずお)さんは、札響を作ったおひとりで、忘れられないエピソードがあります。学生オーケストラの演奏会の度に、ご招待状をお送りしているにもかかわらず、必ず並んでチケットを買って下さる方でした。私は、その姿を見ながら、そのような方が社長である会社で働きたいと思いました。
 そして入社が叶った私は、HBCでは多くのドラマ制作に関わらせて頂きました。その全ては音楽に関連したものでした。例えば、TVドラマ「ああ、新世界」(倉本聰脚本) がありました。
 今つくづく思う事は、小さい時、子供の時に体に入ったものが、70歳になった現在も体の中にあってそこから抜けられない自分がある。小さな時に体に入ったものは大きいですね。

フランキー堺演じる主人公は、東京のオーケストラで人間関係に疲れ、北海道の港町に妻とやってくる。自然豊かな街に身を置くが、文化についてのギャップを感じていた。オーケストラの打楽器奏者であった彼とピアノ教師の妻は、クラシック音楽とは程遠いこの街で日常を紡いでいく。
 ある日、東京のオーケストラがその街にくる事になった。しかも打楽器奏者が急遽来られなくなってしまい、妻の説得を受け主人公は演奏する決意をする。しかし演奏直前に、ひょんな事から、この演奏会は彼の妻が仕組んだ事だったと知ってしまう。そして動揺のあまり演奏は大失敗。つまり「新世界」の中でたった1度の出番であるシンバルを外してしまったのであった。・・・ああ、新世界!

駒ヶ嶺:ここまでのお話で、楽器との出会いから、オーケストラを作り、音楽の企画へと発展させた長沼社長の情熱溢れるエピソードを伺わせて頂きました。素晴らしいですね。長沼社長にとっての音楽との関わりとは、世の中を巻き込んで行く力。つまり音楽は、個人的なものではなく、社会的に影響を与えるものであるということを体現させていらっしゃると思います。うらやましい限りです。

長沼:実は60歳過ぎてからジャズをはじめました。ジャズプレーヤーの世界の究極の素晴らしさですね。これまた奥深い世界と感じています。そしてこのジャズの魅力に取り憑かれているなかで、「サッポロ100ジャズクラブ」を立ち上げました。
 私と数名の発起人が選んだ100名の会員が支えている会で、3か月に一度、食事つきのコンサートをするのです。入会金も年会費もありませんけれども、お友達お誘い合わせ3名くらいまで来たときは1万円出してくださいというものです。食事が付いて、アーティストは僕の方で選んで、札幌のジャズクラブではできない組み合わせを考えて、その人たちにはそれなりのギャラを。3か月に一度ですからね。
 メンバーは、札幌のメンバー+東京からとか、ニューヨークからとか来たのを組み合わせて。こうして作ることが、僕の方の喜びなんですよ。入ったお金はすべてそこで使ってしまいますから何も残りませんが、それは札幌のジャズ界を少しでも育てよう、若い人を少しでもフォローしようという意識が僕の方にあるわけです。札幌シティジャズは全部東京から来ていますから、それとはちょっと違うんですよね。
 クラシックも、なかなか敷居が高いって言われるところにいろいろ知恵を絞っていけば、みんなにとっていい形というのは、組み合わせによってはきっとあると思います。

駒ヶ嶺:長沼社長のメセナスピリッツについて伺いたかったのですが、そのお話もここで伺うことができました。発想力、アイデアに感嘆するばかりです。今日は札幌ドームでインタビューさせて頂いておりますが、札幌に於いてもサッカーや野球のプロのスポーツの世界も入場料だけでは成立せず、放送権料はじめ様々なバックアップがあってこそ成り立っていると思われます。
 札幌の音楽界についても札響が唯一そういうシステムを持ち、市はじめ様々な民間・市民の助成や支えを受け成立しています。しかし現実には札響以外にもフリーの音楽家が沢山居ります。それらの演奏会は当然入場料だけは成立せず、生き残りをかけ悪戦苦闘しています。今のお話の中にもヒントがあると思います。社長ご自身のメセナスピリッツはいったいどこから生まれてくるのでしょうか。

長沼:例えば、札幌ドームの話が出ましたけど、嵐のコンサートをやると3回で15万人入るんですよ。15万人ですよ?音楽だけじゃない、もちろん見せる要素も多分にあるんですけど、でも、やっぱりそれだけのパワーがあるんですよね。どうしてクラシックにはそれがないのかというあたりね。クラシックはそういうものじゃない、クラシックはもっと高尚なものです、と言ったって、生活できなきゃしょうがないだろう、みたいなことになってしまうわけですよね。
考えてみれば、教会音楽は別にして、バッハの時代からもう300年以上続いているんだからこれは大変なことです。日本でいえば、もっと長いものは能とかね。でもそれがはたして現代にどうやって生きているかというと、もうほとんど息も絶え絶え。そういう意味ではクラシックはまだ何とか生きていますよね。それだけの力があるものなんでしょう、やっぱり。ただちょっと怪しいなあと思うのは、佐村河内さんを見破れない、誰も見破れないえせ加減。でも、あれに象徴される部分がクラシックにはありますよね。

駒ヶ嶺:多くの人の流れにはマスコミの煽動があるのは当然でしょう。いいものなのか、そうでないのか分からないまま判断出来ずに流される、民衆の心理なのかもしれません。ところで、札幌ドームで「第9」を・・・

長沼:僕はここで「第9」をやりたいと思って、すぐコバケンさんまで口説いちゃったんだけど、合唱の組織がやっぱり大変だということがだんだんわかってきたんですよ、5000人からの合唱団を組織するとなると、一年間どうやって練習するんだと。このシステムづくりがどうしてもできなくて。ここでやるからには、3万人くらいは入らないといけないですね。オーケストラは札響とHBCジュニオケ、子供たちと一緒になってやるっていう、スケジュールを考えただけでもすごいですよ。やっぱり10回くらいね。いや面白いですよね、コバケンさんの第9は。僕、一人で弾かされたんですよ。社長時代、子供のオーケストラ(HBCジュニオケ)に僕も入ってやったんですよ、そしたらそのオーケストラの中で一番偉そうなのを最初に抑えてしまおうっていうコバケンさんに、「社長!一人で弾いて!」って言われて(笑) これがまた難しいのですよ。タッタカタ タッタカタ タッタカタ・・・

駒ヶ嶺:私たちは実現することを願っております。

長沼:今、子どもたちは小さい時からパソコンなり端末で育っていますよね。そういう中ではなおのこと、これだけ科学文明が発達すればするほど、芸術とか哲学とか、そういった人間の根本にかかわる部分を育てていく、またはそういう環境を作っていくことが、すごく大切だと思うんですね。しかし、その為に必要な芸術家について、基本的にパフォーマンスする側から何らかの援助を要求するのは難しい、だから周りが社会として芸術家が必要とするそういうシステムを作っていかないと、芸術家はなかなか育たない。だからそこに社会的なお金を回していくシステムを作る必要があるだろうと思いますね。

駒ヶ嶺:長沼社長ご自身が10代から、メセナスピリッツと音楽に対する情熱、更に企画力と行動力、これらすべてを併せ持っていらっしゃり、豊かな人生を歩まれている・・・ということに感服です。揺るがないポリシーがおありだからこそ、実現可能にされたのだと思います。私たちハイメスは、企業の方々からご支援を頂いていますが、そのことに対し応えているのかという思いが正直なところございます。私たち自身も発想力を高めなければいけないと、本日短い時間でしたけれども痛感致しました。貴重なお話をありがとうございます。

長沼: いやいや、簡単に言うと、好きなことだけやっているってことだけです。それだけ(笑)

駒ヶ嶺:お好きなことが実っているいらっしゃる事がうらやましいです。インタビューの中で仰って頂きましたが、今後ハイメスがどういうようなスピリッツを持っていくべきか、長沼社長の今の目からお感じになることを、率直に伺わせて頂ければ幸いです。

長沼: ハイメスというのは若い演奏家を応援するシステムだとすれば、応援された方が、どう応えるのかということですよね。いくら善意で無力だとは言いながら、やっぱり何らかの答えが、金銭とかなんとかということじゃなくても、伝わることによってさらにその関係、応援するものとされる者との関係がうまくいくと。その辺をどういうふうに見える形で具体的に伝わる形で作るか、ということが一つポイントかなという気がします。

駒ヶ嶺:私たちが企業インタビューをさせて頂くきっかけになりましたのは、まさしくおっしゃって頂いたことです。アーティスト会員一人一人が、企業家の皆様のご加護を思い浮かべることが出来としても、その実感、感謝をもって応える、またどのように表していったらいいのか、というこの3つが次世代を作る鍵ではないかと受け止めはじめています。是非各界のリーダーの方々から世の中の仕組みを学ばせて頂き、ハイメスの発展を考えたいとインタビューをさせて頂いております。長沼社長には、そのことを明瞭に仰って頂いたと思います。

長沼:ステージを作るっていうことでいうと、クラシック全体について、いろんなクラシックの演奏会があると思うんだけど、構成とか、たて糸をどうするのかとか。音楽は、音楽をただ聴かせればいいのではなくて、音楽は一つの要素、それを組み合わせていくことによって一つの世界ができてくるというような、でないと、それぞれの曲、それぞれのオペラのアリアもあれば、全然別に作られたものをズラズラ並べて、さあどうだって言われたって、まあいいんじゃないっていう、鍋焼きうどんみたいなものですよね。

駒ヶ嶺:なるほど、鍋焼きうどん定食にしなくてはいけませんね(笑) 今日は長沼社長の素晴らしい生き様方を通じ、私達への課題も明解にお示し下さいました。大変貴重なお話を沢山、また実に楽しく伺わせて頂きました。本当にありがとうございます。

ハイメスがこれまで歩んでこれた背景には、個人、法人の多大な協賛があってこそである。その間多くのアーティストがハイメスから誕生し、札幌をはじめ道内外で活躍している。創立25周年という節目を迎え、さらにこの活動を継続発展させるには、支援していただいている協賛企業の文化振興に対する思いをもっと理解する必要があるのではないか。その様な思いが原動力となり、この企業インタビューの企画へとつながった。これからのハイメス、ひいては音楽家の将来へ少なからずヒントになることがあれば幸いである。

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