ハイメス企業インタビューシリーズ Vol.5 北海道医師会 会長 長瀬清氏 インタビュー

インタビュー実施 2016年4月4日(月)北海道医師会館

コーディネーター:駒ヶ嶺ゆかり
広報委員:立花雅和 森吉亮江
陪席:西村善信副理事長

駒ヶ嶺ゆかり(以下、駒ヶ嶺):最初に、北海道医師会長としてのお立場から“医師”についてお話を伺わせて下さい。

長瀬清氏(以下、長瀬):医学医療は日進月歩です。そういう現状から、外科医が内科的なことはできても、内科医が外科的なことをやるのはなかなか難しいです。チリ地震直後、厚岸町浜中町にも津波が来て、町が全滅になりそうだった時、当時、国立病院に勤務していた、大学卒業後まもない道下俊一先生という内科医が、「1年だけ助けに行ってきなさい。」と言われ現地へ赴かれた。1年で帰るつもりが町の人から引きとめられ結局50年いらしたのですが、道下先生は内科医だったにもかかわらず、外科の患者もみればお産も盲腸の手術もされたそうです。今は専門医になるために研鑽をしなければなりませんが、医師になるためには、高校卒業後6年間大学へ行き国家試験を受けます。以前は国家試験後1年間のインターンがありました。今は卒業試験を終え国家試験が通ったらすぐに医師の資格はもらえますが、医師の資格をもらっても2年間義務的な研修を受けなければ臨床医者にはなれません。免許証をもらっても医者にはなれないのです。研修期間に医者として仕事ができるようにと免許証を貰うのですが、正式な免許を手にするには、研修が終わって評価されないと医者にはなれないんです。ところが来年から新たな「専門医制度」が導入されます(一年延期されることになりました)。更に5、6年勉強しないと医者になれないようになります。なかなか大変な世界です。

駒ヶ嶺:北海道における芸術文化は、ますます一極集中型になってきていますが、医療の現状はいかがでしょうか。地域医療の持つ問題等について伺わせて下さい。

長瀬:やはり一極集中型と言えるでしょう。音楽の世界もそうかもしれませんが、医者は完全にそうです。「研修医制度」や「専門医制度」などに影響しているのですが、昔は大学に医局があって「困っているからそこへ行け!」と教授から言われたら行かなければならなかったものですが、今は教授がそう言っても、そこに指導する人がいなければ行っても研修にならないんです。例えば、心臓の手術を必要とされる患者さん等は、早い時期に都市部に行くケースが多いです。そのため地方で都市部と同様の研修を望んでも、その環境が整いにくいのが現状です。でも医者は行かなくてはならないんです。そこに人が住んでいれば絶対医療は必要ですから。人が住んでいけなくなれば仕事もできなくなってしまう。各町長、市長さんは自分の町に病院を作り、その病院に医者を連れてくるのが最大の仕事になっています。医者を呼べない人はその次に市長町長に立候補しても落選という結果がまっています。

駒ヶ嶺:音楽は、文学のように理解してから感動するものではなく、耳から入って視床下部から直接脳に伝わり感動に結びつくという、独特の感情伝達があるそうですね。私達ハイメスは、医療の現場などにおいて音楽でお役にたてることはないかと模索しております。

長瀬:病院で音楽の催しを、患者さんのためにやっているところは沢山ありますね。実は日本医師会はクリスマスにチャリティーコンサートをやるのですが、医者でピアニストの上杉春雄君に、日本医師会館で出演して貰ってはという要望があります。これから認知症のお年寄りにむけて、脳外科の分野においても音楽が大きな役割を果たす時代が来るでしょう。以前にサリン事件がありましたが、その時被害に遭われ全身麻痺に見舞われた方がおられましたね。その時、ピアニストの遠藤郁子さんの演奏によって反応を示すようになった、という感動的なお話がありましたね。正に音楽の力です。

この度のインタビューでは、「医療と音楽」という観点に固視することなく、長瀬会長の豊かなご経験から、一時間の限られた中では語り尽くせない話題に及び、沢山の内容を伺う事が出来ました。その中から、印象的なエピソードをご紹介させて頂きます。

『Boys,be ambitious』

長瀬:平成16年、北大のポプラ並木の1列が台風によって全部倒れました。そこでそのポプラでチェンバロを作ろうと言う事になり、旭川の会社でチェンバロに生まれ変わりました。そして平成18年に完成したチェンバロのお披露目演奏会が、たしか“台風でポプラが倒れた日”に開催されました。チェンバリストは東京で活躍している水永牧子さん。彼女の高祖父は北大農学校の一期生でいらして、クラーク博士に指導を受けた大島正健さんです。その大島さんはあのクラークさんの言葉「Boys,be ambitious」を「青年よ、大志を抱け」と訳し、日本中にその言葉とスピリッツを広めた人。その玄孫である水永さんが、北大のポプラでつくられたチェンバロを弾きました。

『歌劇場とコンベンションホール&ホテル』

駒ヶ嶺:札幌には唯一のプロのオーケストラがあり、世界に誇れるコンサートホールKitaraがあります。世界からも文化都市として認めて頂きつつあるようです。間もなく歌劇場が札幌にも建設されますが、どのように稼働させて行くか大きな課題も背負っているようです。

長瀬:札幌にはオペラ劇場も必要かもしれないが、国際的学会が開けるコンベンションホールも必要だと思っています。ただ広いだけではなく、十も二十もの会議を同時開催できる施設が必要です。もう一つは宿泊するホテルが大切な役割を果たすことも分かってほしいです。そういった意味で札幌は本当に文化都市といえるのかと、いつも学会を企画する時に実感しています。現在、知事と市長、そして財界に「絶対必要!」と訴えているところです。文化都市と言われるに相応しい札幌となるよう、世界に恥じないコンベンションホール&ホテルを作る努力を一所懸命しているところです。

ハイメスがこれまで歩んでこれた背景には、個人、法人の多大な協賛があってこそである。その間多くのアーティストがハイメスから誕生し、札幌をはじめ道内外で活躍している。創立25周年という節目を迎え、さらにこの活動を継続発展させるには、支援していただいている協賛企業の文化振興に対する思いをもっと理解する必要があるのではないか。その様な思いが原動力となり、この企業インタビューの企画へとつながった。これからのハイメス、ひいては音楽家の将来へ少なからずヒントになることがあれば幸いである。

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